田村 圭

2018年4月号

遊びが本気になるのが仕事。

たむら・けい

新潟県出身。地元新潟市から東京の亜細亜大学に進学。卒業後バーテンダーなど飲食店アルバイトを経て2015年にTumblrをオープン。洋服への確たる知識とセンス、何よりその人柄でオープンから3年程度で、吉祥寺で若い客層から絶大な支持を集めている。

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新潟県新潟市出身のオーナーが切り盛りする古着屋。古着激戦区の吉祥寺に店を構え、今若年層に絶大な指示を受ける同店。新潟から東京にきて9年目、若干27歳が独立までに描いていたこととは?大学の同級生でもあるGABAWASHが突撃取材。

好きなファッションで勝負したかった。

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-さっそくだけど、この仕事を選んだ理由は?

大学時代から起業したいと思ってたよ。就職を普通にしたくなかった。何か自分で経営する、そこで考えたときにお店をやるとしたらもともと好きなファッションで勝負したかったから古着屋を選んだかな。ほかにもやってみたい仕事はいっぱいあったけど、とりあえずできるものからと思って、当時はこれ以外ビジネスとして自分ができそうなものがなかったっていうのもある。

-ファッションはいつから好きなの?

13歳からハマったかな。ビジュアルを気にするようになったのがその頃。人目を気にしてかっこつけたくなった年頃かな。そのひとつの手段がファッションっていう感じだった。当時の新潟市の古町は古着屋やセレクトショップもたくさんあって、活気があったよね。その中のひとつの店に中学生くらいからよく通ってた。そこの店主が当時25歳で脱サラして開業した人で、その人が当時の自分にはとてもかっこよく見えたのをよく覚えてるよ。その人と仲良くなって、プライベートでも遊ぶようにまでなったしね 笑。

-そのくらいの年の頃って影響受けやすいよね 笑。おれもある。

うん 笑。そこからファッション以外の部分でも、かっこいい大人の男性像みたいなものが出来てたかな。いつかこの人みたいに、こんな働き方をしてみたい、店を持ちたいとやんわり思うようになった。

-今の仕事を始める前は特別何かやってた?

普通に都内の大学に通ってバイトしてたくらい。もちろん店をやる意思はあったから、在学中からバーテンダーとしてバイトしながら、お金を貯めてた。卒業してからもバーテンダーを続けながら、昼間は古着屋の物件探しをやってたね。並行して年2回アメリカに行き、商品の仕入れも少しずつやってた。

-バーテンダーのバイトは楽しかった?

まぁね。業務内容的には今の古着屋より好きかも 笑。バーテンダーは接客業の中でも特に神経を使う仕事だと思っているから。ここで学んだことは今も活きていると思う。そのときのお客さんとのつながりが今もあったりするのも嬉しい。

-そういえば在学中塩ごはん食べて節約してたよね 笑。

なつかしいね 笑。お金が苦しかったというよりかは、なるべく服を買うことにお金を使いたかったから。学生だし、もちろん使えるお金は限られていたから、他を削ったって感じ 笑。バイト代が入ると1万くらい残高残して、あとは服を買いまくっていた。新潟出身だし、米は実家から送られて来ていたのもあって、食事は塩ごはんとか最低限のもので生活してのは事実 笑。そんな贅沢したい欲もなかったし。好きなものに投資する考えが当時から常にあったね。

-在学中は、働くことについてどう思っていた?

そのときから仕事は遊び、遊びが本気になるのが仕事というスタンスでいたよ。仕事=遊び、になれば良いと思っていた。良い意味で好きじゃないことで頑張りたくなかった。そういう意味で、企業への就職はそこの理想像とはちょっと違うなと思っていたかな。自分の経営する店ならば、仕事と遊びの境界線がなくなると思っていたよ。

-しっかりしてんなあ。

良いことも悪いこともすべて自己責任、という環境に身を置きたかったんだよね。人と仕事をするのは好きだけど、人の下では仕事ができない性格だったし。

-ちなみに、そもそも新潟から上京した理由は?

とにかく都内に出たくて。その手段として進学したわけなんだけど、ある程度名前が知れてて、自分が入れるところなら正直どこでもよかった。大学は亜細亜大学っていうところだったんだけど、ここはある程度名前知れてたし、そんなに難易度も高くなかったし。都内には卒業後出たいとはずっと思っていたよ。全く新しい環境で、初めましての出会いで4年間たくさん遊んで学んでっていうのをやりたかった。全く新しい環境っていう意味で、新潟だとそれができないと当時は思っていたかな。

-なるほどねー。店をやる上で悩みはあった?

うーん、一切悩みはなかったかな。どこに店を出すか、どーゆう服を仕入れるか、とかは悩んでいたけど。自分の店をやる、という1本の軸があったから、そこを軸に枝分かれして悩むことはあっても、根本的に店やるかどうしようかみたいな悩みはなかったよ。やることを考えて常に悩んでいたので、在学中にやることも、卒業後にやることも明確だったし。

-開業にあたり大変だったことは?

吉祥寺で店をやると決めて、おおまかな開業資金がわかり、思ったよりお金がたくさん必要だということがわかった。資金集めはなかなか苦労したかな。だだ、売れる服、売れない服っていうのは何となく分かっていたので、好きな服でなくても売れる服があれば安く購入して転売してみたいなことをして少しずつ資金集めをしていた。あとは13歳から買い続けてきた服(おそらく合計500万くらい使ってきた)を全部売り払ったよ 笑。あとは+バイト代で2年半くらいで約700万くらい貯めた。開業にかかった費用は、込み込み600万くらいかなあ。あんま大きい声で言えないけど、最後に両親にも少しお金を借りて無事開業したよ。

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-店を出してどれくらい経つ?

2015年6月6日に開業したから、もうすぐ3年だね。

-すごいね。アパレル以外にやるとしたら何かやりたいことはある?

飲食かな。特にバーをやってみたい。今店に来てくれる常連の子が大学生が多くて、その子たちが成長して、大人のお酒を飲みに行く場を提供したい気持ちはある。そのお店を通してそうゆう人たちと今後も長く繋がっていきたいし。

-今のお店の客層はどんな感じ?

大学生とか、20代前半くらいの客が多い。うちのコンセプトとしては、20代前半が着たら、他の子よりちょっとおしゃれで大人っぽく、そのままおっさんになっても着続けられるみたいな、位置付けで服を仕入れている。学生だと近くの成蹊大学の生徒が多いかな。他にも都内いろんなところからくるよ。

-吉祥寺でやった理由とかはある?

大学時代のバイト先(バー)が吉祥寺だったんだよね。だから吉祥寺周りの飲食系のコミュニティが多かったし、あとは自分の大学が近かったのもあり、繋がりが多い方が良いだろうという単純な理由だったよ。

イメージとのギャップはなかった。

-吉祥寺は古着屋激戦区なイメージだけど、そうゆう意味での不安はなかった?

そこも全くなかったよ。たしかに競合は多いけど、自分の方が良い店を出せる絶対的な自信があったからね。自分の接客の力と、自分の扱う服のセンスには他の店よりも余裕で勝てると思っていたし。自分がカスタマーとして服屋を見ていた頃からセンスには自信があった。あとは来店さえあればファンは絶対つけられるっていう自信があったね。

-すげーな 笑。卒業後新潟に帰る気はなかった?

あんまり無かったかな。新潟も大好きだけど、関東は日々新しい出会いの量が多い気がするし。人口が多いのもあるし、いろんなカルチャーが多数成り立っている分、刺激が多い。そうゆう環境に身を置くことは店をやっていく上で重要だと思っているからね。あとは地元の仲間に、大学出てすぐ都内でも勝負できるんだぜというところを見せたかったのもあるかな。あとはまだ実家には戻りたくないってのもある 笑。でも死ぬ時は新潟がいいなーと思っている。わがままだよね 笑。

-俺も死ぬときは新潟がいいな 笑。

将来的には東京の店を人にまかせて、新潟に帰りたいってちょっと思ってる。自分が少しオーナーとして携わる程度で、経営が回るまで店が大きくなったらだけどね。

-新潟の仲間との繋がりは未だに続いてる?

小学校の同級生とか、地元の仲間との繋がりは深いよ。この店にわざわざきてくれるやつもいるし。今もなるべく年末は帰るようにしてるけど、未だに同級会が必ず行われてて、結婚してるやつも含め、皆集まるんだよね。もう27歳になるけど、地元は意外と結婚してるやつ少ないよ 笑。

-同級生に会ったときに、何か考えることとか思うことはある?

考えるというか、むしろリラックスできる。昔から知ってる間柄だから、仕事のこととか、社会的地位とか関係なく、シンプルに会話が楽しめるし。

-ちょっと話は戻るけど、店をオープンしてみてのギャップはあった?

実はそんなにないんだよね。さっきも話した通り、自分のやりたいイメージが明確だった分、想定していたことが順番に起こっている感じ。計画通りと言ったらちょっと硬いけど、それくらい念入りにイメージできていたからね。強いて入れば、人を雇うようになってから、いろいろ考えるようになったってのはあるかな。今はスタッフ2人雇っているんだけど、人を使うのは使われるより難しいなーと思うようになったよ。

-休日は何してるの?てか休みある?笑。

定休日は特に設定してなくて不定休なんだけど、月3日くらいは休んでいるよ。何してるかって聞かれると、趣味=仕事なので、休みだからこれをさあやろう!みたいな感覚があまりない。家でボーッとしてたりとか、結局ちょこっと店に顔出したりしてるかな。雇っているスタッフが基本自分が休みの日に入るスタンスなので、一緒に店に立つことがないし、その様子を見たり。この時間を利用してスタッフをごはんに連れて行ったり、というコミュニケーションをとるようにしているよ。

-ちゃんと経営者やってんなあ。少し話は変わるけど、仕事の原動力は?

自分の店をきっかけに常連通しで繋がって、遊んだりしているのをSNS等で見かけるとやりがいを感じるし、嬉しい。それを吉祥寺で一人でも多く、そうゆう人を増やしていきたいっていうのが、今のモチベーションかな 笑。あとは年に数回行くアメリカへの買い付けが楽しい。

-買い付けについて少し詳しく聞かせてよ。

買い付けはやはりこの仕事で一番大事な部分だよ。誰にも邪魔されず、じっくり仕事に向き合える時間。具体的に何をするかって言うと、年数回アメリカに行って、現地でレンタカーを借りて、2週間程度で8つくらいの州を周る。あとは買い付ける旅に服を車に積め込んでいくって感じ。

-だいたい何買うかは決めていくの?

ファッションには周期があって、そのトレンドとかを計算して、回る店の順番等を決めてから行く。どうゆう店で仕入れているかは、企業秘密で 笑。行ったら必ず売れる商品がうまく手に入る保証はないし、行っても良いものがない、なんてこともあるよ。楽しいけど、ある意味博打ではあるね。

-今の仕事で嫌だなと思うところは?

嫌いなところというか、服屋やってて思うのが、自分の外見に興味がない人が想像以上に多いことにがっかり。特に吉祥寺の人にそう思わされることが多い。やっぱり皆に服を好きになってもらいたいから、そこは自分でなんかできることないかなあって考える部分でもあるし、そうゆう人に自分の店を通して服を好きになってもらえたときはやりがい感じるよ。あとは、確定申告とか店の掃除とかはめんどくさい 笑。

-最後に将来に悩む若者にアドバイスを!

自分がやりたいことをやる上で、人脈は本当に重要だと思っている。大学生なら、学内とかバイト先以外で、自分を応援してくれる人をどれだけ持てるかって、後の自分の人生に結構影響してくると思う。どんな人が相手でも、1度向き合ってから好き嫌いを判断して、食わず嫌いをせずにいろんな人と接するべき。ちょっと語弊があるかもしんないけど、大学やバイト内とか、友達ができて当然の環境での人脈を俺は「与えられた人脈」と呼んでいる。逆に自分から気になる世界に飛び込んでいって作る繋がり、人脈がすごい大事だと思っている。そういった意味で、自分の好きな世界への努力や投資は惜しまない、っていうのはずっと大事にしてきた。若いうちはその時間と体力があるから。

-今日はありがとうございました!

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どんな質問を投げかけても、返答が早い。このお店をオープンするまでのビジョンが明確で、信念を曲げずにやってきたからこそだろう。その自信が店作りにも影響し、客を惹き付ける。その昔に彼自身が憧れたかっこいい大人像、店に通う常連の大学生たちには、彼がその対象になっているに違いない。

【名前】田村 圭(たむら けい)/【出身地】新潟県新潟市 /【生年月日】1990年4月16日 /【血液型】B型 /【尊敬している人】いない 笑 自分が誰かのそういう対象になりたい /【今気になってるモノ・コト】店に来てくれる常連さんたちの恋愛事情 /【お気に入りのファッションブランド】古着 /【趣味】ファッション、音楽、映画、お酒 /【特技】人を見て、その人が自分では選ばなそうな服で、その人に似合うスタイリングができる /【休日の過ごし方】店のスタッフや常連客と遊ぶ /【10年後の自分】結婚して吉祥寺にもう1店舗持ってる。今の所結婚の予定はなし 笑

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〒180-0005

東京都武蔵野市御殿山1-3-9 御殿山フラット1号室

オープンして3年程になる古着屋。古着激戦区「吉祥寺」の中でも、ずば抜けて若い客層からの指示を受けている。オーナー自身がアメリカで直接買い付けた商品が所狭しと並ぶ。若年層にとっては大人っぽく、ちょっと洒落た大人にとってはワンランク上のカッコイイおじさんになれる、そんなラインナップを心がけている。人と人の繋がりを大切にする事をモットーにし、古着をきっかけに様々な出会いが生まれている。このお店と古着を通じて、プライベートでも共に遊べる仲間を見つけられるかも。

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